コリン・デクスター(著), 大庭忠男(訳),
ハヤカワ・ミステリ文庫, 1990年 [Amazon]
デクスターと出会えた。これが僕が本を読む生活を続けてきた中で得る事ができた最高の報酬の一つだと思います。
今もう一度、あの文字通り夢中になってミステリィ小説を読み漁っていたあの頃と同じぐらいの熱意を持てるかどうか、と聞かれたら、無理かもしれない、と思います。デクスターの全著作(写真右)を読み終わった時に、ミステリィ遍歴の最も豊かな一幕は閉じたのだなと漠然と感じました。
「そんなに小説を読んでいるならオススメの一冊を貸してよ」と聞かれたことありますか?あれ、結構、困りますよね..。どんなに多くの小説を読んだとしても、新しく手に取る一冊が面白いかどうかなんて分からない。一年前に買って読んだ本が、今の自分がまっさらなキモチで読んだとして面白いかどうか分からない。確実に面白いって分かって読んだらきっと面白くないというパラドックスもある。確かに自分が読む本に関しては、ある程度ハナは効くようになるかもしれないけど、これは今どんなタイプの刺激を求めているかを経験的に分析できるからですので、他人にオススメするの云々というはの全く違う話です。
最近どこぞで長々と書いたけれど、文字を書くというのは自己情報の圧縮を用いた外部化の一種類です。面と向かってアレコレ喋るというのは最も情報圧縮コストが低いので伝える方も読み取る方もとても負荷が少ないですね。ただし、“余計”な情報も汲み取ってしまうという面もあるので、内容のないミーティングでも「何かを得れた」という達成感が生まれてしまう、という事もあり得ます。
で、文章というのは、非常にストイックな情報圧縮手段だなぁと思います。このnoteでも、記事の先頭に「みんなのフォトギャラリー」から写真を引っ張ってくることを推奨していますね。記事の雰囲気作りというのは要するに文字にするという圧縮プロセスの中で削ぎ落とされてしまう情報を補うという事でしょう。特に僕のような素人では、上手く文字の中に伝えたい内容を載せきれないので、見出し画像のような補完手段を推奨する事で投稿のハードルを下げる効果がありそうです。
何の話だったか。そう、デクスターですね。何冊も何十冊も色々な人にオススメしてきましたけどデクスターをオススメして、「これ最高!!」という感想を返してくれたヒトは見事にゼロでした。ははは。なのでオススメしません。そもそもデクスターをオススメするのは、“相当に読めそうな”ヒトに限られるわけですが、それでも全戦全敗というのはこれいかに。
確かにデクスターの作品群には、強烈な謎も、前人未到のトリックも、最強の名探偵も、伝説の悪役も、無いですね。主人公として出てくるのは、あちこちうろうろ歩き回ってブツブツ呟いて首を傾げたり喚いたりする小柄な刑事ですね(ウィットに富んだ素敵なオジさんに見えたとしたら、かなり末期症状です)。会話は確かにウィットに富んでますし、情景描写の抜き加減もとても素晴らしいのですが、さて、デクスターの魅力はそこかと言われるとうーん、違うような気がしてなりません。
シリーズ最高の1冊は、この『ニコラス・クインの静かな世界』を挙げます。この作品が最も“デクスターらしい”です。語彙力をどうにかせよ、と、我ながら思いますが言語化する過程でどんどん情報が欠落してしまって言葉には乗りませんね。作品は非常に高度に計算されて全てが構成されているので、それがデクスターの狙い通りなのかなー。まあ、この文章の結論としては、デクスターの文章には、“言葉にすると削ぎ落とされてしまう魅力”がある、という事にさせてください。
2018年12月27日