郡司 芽久(著), ナツメ社サイエンス, 2019年 [Amazon]
「研究者になる」体験は一生に一度しかない黄金時代なんだと思う。
(図右はGunji, M. & Endo, H. Royal Society Open Science, 2016 より)
画家はいつから画家なのか、データ・サイエンティストはいつデータ・サイエンティストになったのか。子どもに対して「大きくなったら何になりたい?」と聞くのは定番だけれど、職業って社会的な役割に対するラベルじゃなくて、むしろ自意識の問題なのかなと思う。自意識の中では、ある日ある時という不連続なものではなく、振り返って、ああ、あの頃に自分は研究者になったんだと実感が湧いてくるものでした。
本書を通して語られる解剖学・形態学者としての著者の凄みは、観察と実感という言葉の強さにあるように思う。例えば「筋肉や骨の名前は、理解するためにあるのではない。目の前にあるものを理解した後、誰かに説明する際に使う「道具」である」(p. 76) という具合である。
研究者として働いている時間の多く(75~85%ぐらいかな)は、誰かの言っていることを理解すること、と、誰かに自分の言っていることを理解してもらうこと、に費やされるけど、その全ては、自分が目の前にあるものを理解するための手段に過ぎない。などと書くと、とてもワガママな職業に聞こえるかもしれませんが、一方で、目の前にあるものに対しては真摯で献身的で、その意味において「子供の心のまま」(p. 194) でいたい。
かくいう僕も小学校の卒業式で「将来何になりたいですか?」と聞かれて(在校生全員の前で1人ずつ聞かれた)「脳の研究がしたいです」と答えたと記録があるので、一応、夢は叶っているようだ。しかし、第一線で手を動かし続けられる時間は本当に短い。あと10年あるだろうか(あると信じたい)、20年あるだろうか(望みは薄い)。そうやってまた別のナニモノカになっていって、うーん、それはそれで楽しみですね。
逸れましたが、ナニかにどっぷり漬かってナニモノカになっていく黄金時代を真っ直ぐに味わえた本でした。著者のWebサイトで論文も公開されていて、特に主題のキリンの首論文はOpenAccessになっていたので、学術論文の世界に触れてみるのもオススメです。
2019年7月17日