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書評:『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』

須黒 達巳, ベル出版, 2021年 [link]

形から入ろうと「評判の良い専門書を買い揃えたけれど結局読みこなせなかった」あなたに、ぴったりな1冊。

さて新しいことを勉強するぞ、と思いたった時の初手はどうしますか?とりあえず手を動かしてみるという方もいらっしゃるかもしれませんが、僕はその前にまず本を買います。これは回りくどいというか面倒くさい初手だと思います。なにしろ手を動かすのは紙と鉛筆と身体と脳みそがあれば大抵のことは何かしらできることがあるわけです。そういう入り方もあります。本を買うのは意外と大変です。どの本を買えばよいのか、という大問題があるわけです。普通の技術書でも数千円、専門的な本になれば一冊数万円という出費です。

そんな時にどうするかというと、その業界に詳しいヒトのTwitterを辿って、そこで紹介して絶賛していた本をピックアップしてみたりすることになります。詳しいヒトが絶賛しているのなら素晴らしい本だろう。安い本を買って出費を無駄にするよりも、ちゃんとしたものにちゃんとお金を出しましょう。という気持ちになります。それはそう、なんですが、それで上手くいかない時もあります。せっかく買った本を開いてみても1章を読むのがせいぜいで、どうにもそこで積読本になってしまう。積読本が悪いというわけでは無いですが、最初の志からするとどうにもやるせない気持ちがココロの片隅に残ってしまうこともあります。

なんでそうなるかは、この本を読むと良く分かります。「そうそう!そうなんだよ!」と膝を叩きたくなります。ひらたくいうと、解像度の高い情報はそのフォーカスについてある程度の知識がないと読みこなせないということです。Rを勉強しよう!と思ってプログラミング言語に関する予備知識なくいきなり『プロフェッショナルR』を買っても厳しいでしょうし、ゴミムシダマシについて知りたいと思っていきなり『日本産ゴミムシダマシ大図鑑』を買っても、それだけではダメなんですね。

なので「何かおすすめの1冊を教えてください!」と言われたら困っちゃうので5冊ぐらいお勧めすることにしています。そもそも1冊を読み込んで全て納得がいくことはほとんどありません。この部分の説明はこの本、別の部分はこれ、という風に色々と読み比べながら自分にあった理解を少しずつ進めるというやり方が僕にはあっているようです。なので解像度に注意しながら5冊ぐらいを並行してつまみ食いするといのが僕のやり方です。(たった1つ例外があって、それは試験対応です。この場合は達成目標の解像度が固定されているので、とにかくそのレベルの本を理解できるように最初から最後までしがみつくべきです。)

分類学というのは面白い学問で、「新種を採集するヒト」と「新種を学術論文に記載するヒト」というのは往々にして違います。(両方こなすスーパースターもいますけれども。)学問としての分類学は、不思議な標本が得られた段階からスタートするというと過言ですが、それほど的外れではないはずです。この本のもう1つの指摘は、「種とは何か」です。これは重要な問いです。種という基本単位に対してどの程度の抽象性を持たせるか、ということです。つき詰めるとそれはまさに主観(主体は個人でないかもしれませんが)の領域に踏み込まざるを得ません。

分類学というのは1つのgithubリポジトリ上で古今東西の専門家がよってたかって1つの体系を組み上げようとpull requestを出しまくっているようなイメージです。あちこちでconflictが起きるので、ある程度の塊を整理するときに交通整理をほどこして分類体系を整えてconflictを解消することになります。これは分類学に留まりません。例えば分類学がハードフェアを対象とするのに対し、心理学はファンクションを分類する、というのが僕の理解です。ここでも基本単位に対してどの程度の抽象性を与えるのかという問題が生じます。分けられないものにあえて線をひいて分けなくてもいいじゃないかと思うかもしれません。しかし名前は時として偉大です。リンゴという生物集団に対してリンゴという名前を割り振ることで初めて議論の土台を作ることが出来るのです。

プログラミングの世界にもありますね。どの程度の粒度の処理を独立した関数とするのか、パッケージとするのか、プロジェクトとするのか、という話です。あるいは学問の世界では、「このぐらいの発見なら学術論文として発表できる」という相場感がありますね。これは新知見の粒度が業界で共有されているからです。なので全く新しい誰もしらないことを発表しようとすると宇宙際タイヒミュラー理論のようになってしまいます。

最後に、著者には2才のお子様がいらっしゃるそうですが、我が家にもそろそろ2才の子どもがいます。何やら最近はクワガタが好きなようで、もと昆虫少年の僕としてはインストラクタの役を買って出るわけです。本書を読む前でしたが、ゴーストが囁いて、ハンドブックぐらいの図鑑、ちょっと詳しい絵解き、網羅的な学研の図鑑、それに煌びやかなBRUTUSの「珍奇昆虫」なんかを揃えてやると、本人はこっちに載っているコレはあっちのコレ、みたいな照らし合わせを楽しんでいます。本書を読むとこのやり方は、おおまさに!という気持ちになって少し嬉しかったです。

と書いていたら日付が変わりました。


2022年1月1日